わが子を失った理由を知った日|それでも今日を歩く

いまのつぶやき

今日は、そらを産んだ病院へ行ってきました。
病理検査の結果を聞くためです。

先生から伝えられたのは、「臍帯絞扼(さいたいこうやく)」という言葉でした。
臍帯絞扼とは、赤ちゃんとお母さんをつなぐ“へその緒”がねじれたり、絡まったりして血流が途絶えてしまうこと。
血流が一時的に弱くなることはありますが、完全に遮断されてしまうケースは稀で、発生頻度はおよそ1〜2%程度といわれています。

一度起こってしまうと、外から気づくことはとても難しく、
母体や医療側がどれだけ気をつけていても防ぐことができないことがほとんどだそうです。
先生も「誰のせいでもないことなんです」と静かに話してくれました。

どうすることもできなかった——頭では理解できても、心が追いつきませんでした。
そら自身には何の異常もなかったことがわかって、
むしろそれが胸を締めつけました。

あの日、胎動の変化にもっと気づけていたら。
朝のお腹の張りで病院に行けていたら。

「たられば」を言っても過去は変えられない。
それでも悔しくて、どうしようもなくて。
気づいたら静かに涙があふれていました。

それでも、少しずつ変化も感じています。
涙が出てしまっても、それが引くのは早くなった気がします。
時間が、少しずつ私を前に進ませてくれているのかもしれません。

家に戻ってもなにも手につかなくて。
このまま一日を終えたくなくて、いつもの河原を歩きました。

風が少し冷たくて、木々の葉が色づきはじめていて、
季節は確かに進んでいることを感じます。
立ち止まりながらも、それでも歩いた。

——「今日も歩けた」
それだけで十分だと思いたいです。

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